今回は、筆者が大好きなGLAYについて語ります。GLAYは、ファンの間で、【解散しないバンド】として有名です。なぜなのでしょうか。
筆者がGLAYを好きになったきっかけ
筆者がGLAYを好きになったきっかけは、音楽番組で『HOWEVER』を演奏しているのを見たからです。1997年。GLAYは初のベストアルバム『REVIEW』を発売し、それがとんでもない売上になっていました。後から知ったのですが、当時、GLAYは本当にたくさんの歌番組で『HOWEVER』を歌い、演奏していました。筆者が見たのはそのうちの一つだったのです。1998年頃でした。
いろいろな曲を聴いて、ライブ映像を見て、GLAYを学んだ
1998年当時私は中学生でした。99年4月から高校生になったのですが、高校に上がる時の春休みにGLAYのCDをたくさんレンタルしてきて、MDにダビングしまくるという行動に出ました。ダビングをしては曲を聴くの繰り返し。そこで、どんどんGLAYの曲を覚えていきました。
さらに、高校生になってから、当時はビデオテープだったのですが、これまでのライブ映像をむさぼるように見ました。98年頃に開催していたスタジアムツアーの映像も見たのを覚えています。そこで、JベーシストのJIROさんにものすごい衝撃を受けたのです。
ベーシストが目立ちまくりだった
当時のバンドは、ボーカルは当然他のメンバーより前にいるので目立つのですが、他に目立つのはギタリストくらい。ベーシストはドラムの横くらいの定位置で動かずベースを弾いている、そんなイメージがありました。
ところが、GLAYのベーシストであるJIROさんは、私がGLAYファンになった98年頃~99年頃まで、髪型をまるで炎のように固め、JIROさんはもちろん他メンバーもビジュアル系のようにガッツリメイクし、ぴょんぴょんジャンプし、ステージを走り回り、自分の歩幅に合わせて、ビョンビョンと機械音をベースから鳴らすような目立つベーシストだったのです。
それでもしっかりドラムと合わせ、リズム隊としてグルーヴを作るJIROさん。そこも驚きでした。
なぜ過去形かというと、大体2000年頃から、JIROさんは髪を固めるのとガッツリメイクを辞めたからです。でも、今現在もライブでは曲によって、定位置を駆け出してファンの近くまで来てくれる、とても素敵なベーシストです。
JIROさんを見てベースをやろうと決めた
当時とても目立っていたJIROさん。そんなJIROさんを見た筆者は(ベーシストも遊んでいいんだ!目立っていいんだ!)と目から鱗が落ちるようでした。
JIROさんに大きな衝撃を受けた筆者は、高校生の時、ベースを始める決意をしました。これは私の人生を変える大きな決断でした。その後、実際にベースを始めた筆者は、高校を卒業後フリーターになり、バンドのべーシストとしてデビューする夢を追いかけ、バンドでライブハウスに出演したりしていました。その夢は、筆者が結婚するまで続きました。
今は、当時のことがとても良い思い出として心に残っています。
なぜGLAYは解散しないバンドなのか
さて、ここからはなぜGLAYは解散しないバンドなのか?という話をしていきます。
ある時から解散しないと言い切るようになった
ある時から、GLAYはステージ上でこう話すようになりました。
『僕達は解散しません!』
最初に聞いた時は本当に驚いたのを覚えています。そんなことを言い切っていいの?と。でも、その後GLAYはほぼライブのたびにこの言葉を言ってくれるようになり、それはライブだけにとどまらず、ラジオなどでもはっきりと『僕達は解散しないからね』と話してくれるようになったのです。その言葉に、筆者はどれだけ救われたかわかりません。
なぜ解散しない!と言い切るようになったのか(筆者の考察)
なぜGLAYは、僕らは解散しません!と言い切るようになったのでしょうか。ここからは、あくまで長年ファンである筆者の考察です。
理由①これまでのGLAYの歴史
理由の1つ目は、これまで様々なことがあったGLAYの歴史に関係しているように思います。大きなことで言うと、当時の事務所から独立し、会社を作ったこと。当時は1年くらいライブ等の活動ができないときがありました。
他にも、メンバーが精神的に参ってしまったり、体調を崩してしまったり。一度だけ解散の危機があったり。これまで、本当にいろいろなことがあったのです。
理由②東日本大震災
理由の2つ目が、2011年に起きた東日本大震災です。このことは、宮城出身、在住の筆者にとってもとても大きな経験でした。GLAYも、震災の後すぐ弾き語りの曲を出してくれたり、ボランティアに来てくれたりなど、たくさんのことをしてくれました。震災後に見たGLAY関係の映像で、『この日からこれまでの日常が非日常になった』という言葉がとても印象に残っています。
理由は多分この2つだけではないでしょう。でも、この2つが大きく関係していると筆者は考察しています。
『解散しない』という言葉にとても救われている
先ほども書いたように、筆者はGLAYが常に発する『僕達は解散しません』という言葉にとても救われました。というより、現在進行形で救われています。
私は結婚して子供が生まれてから、その後離婚しているのですが、その間ずっとGLAYのライブに参加できませんでした。それでも、(GLAYは解散しないから、いつかライブに参加できる!)と信じて生きてきました。子供が成長して、久しぶりにライブに参加できた時はとても嬉しかったです。
また、コロナ禍でライブでの声出しができなくなりました。コロナ禍になってから、GLAYは宮城になかなか来れず、筆者はあまり遠征ができないため、ずっと待っていました。この時待てたのも、解散しないという言葉があるからです。結局2年程待ち、コロナ禍でのライブに参加できました。
といっても、ライブは声が出せないので、とにかく腕を振るGLAYチョップをしたり、手が痛くなるほど拍手をしたりして、 GLAYが大好きなことや、自分が盛り上がっていることを伝えました。この時(いつか声が出せるライブに参加したい。絶対参加する!)と強く思いました。こうやって次のことを考えられるのも、解散しないという言葉のお陰なのです。
筆者はこれからもGLAYのファンを続けていきます。GLAYを、GLAYは解散しないという言葉を信じて。
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